何年か前、正倉院展を見に行った際、奈良公園の鹿に約束した。
事務所の前の駐車場にドングリがたくさん落ちているので、次に来るときは持ってきてやると。
ウォーキングでも拾い集めて、3キログラムほど持っていった。
重かったけれど、鹿たちの喜んで食べる姿が嬉しかった。
中宮寺で聞いた解説が、いつまでも心に残った。
都の造営にともない寺院を建立するが、権力者は次々に都を移ってゆくので、取り残された寺には大変厳しい運命が待っているという解説だった。
戦禍を免れても、経済的な支え無くしては大寺院の運営が大変なことはわかる。
中宮寺の本尊菩薩半跏像は飛鳥彫刻の最高傑作と言われている。
よく似た思惟半跏像で広隆寺の弥勒菩薩がある。
広隆寺の方が国宝指定1号で、中宮寺が23番だという。
昭和26年6月9日、それぞれ国宝指定されたのだが、全国からたくさんノミネートされた中で順番が決められたそうだ。
聖徳太子の住んでいたのが現在の夢殿辺り、これを中心として西に法隆寺、東に中宮寺が建てられた。
法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺、伽藍は共に四天王寺式だった。(法隆寺旧地若草伽藍)
それほど盛大を誇っていた中宮寺が、平安時代には衰退し、現在のように法隆寺東院に間借りするような形が続いている。
都の造営にともない寺院を建立するが、権力者は次々に都を移ってゆくので、取り残された寺には大変厳しい運命が待っているという解説だった。
戦禍を免れても、経済的な支え無くしては大寺院の運営が大変なことはわかる。
中宮寺の本尊菩薩半跏像は飛鳥彫刻の最高傑作と言われている。
よく似た思惟半跏像で広隆寺の弥勒菩薩がある。
広隆寺の方が国宝指定1号で、中宮寺が23番だという。
昭和26年6月9日、それぞれ国宝指定されたのだが、全国からたくさんノミネートされた中で順番が決められたそうだ。
聖徳太子の住んでいたのが現在の夢殿辺り、これを中心として西に法隆寺、東に中宮寺が建てられた。
法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺、伽藍は共に四天王寺式だった。(法隆寺旧地若草伽藍)
それほど盛大を誇っていた中宮寺が、平安時代には衰退し、現在のように法隆寺東院に間借りするような形が続いている。