日曜日には仙台・藤崎デパートのギャラリーで開催中の「東日本大震災を記憶するために」展のサポートに、Sさんが来てくださった。
Sさんの名刺には「いわて復興応援隊 支援員」とあった。
被災地の出身ではなく、神奈川県小田原生まれなのだが、いまは陸前高田復興に青春を捧げている。
なぜ、神奈川から岩手の復興のために住民票まで移したのか伺った。
すると海外青年協力隊で西アフリカ・セネガルでの活動がある人だった。
任期を終えて帰国するも、アフリカの現状に貢献したい思いが再燃し、モーリタニアへ。
その活動中に、故国の東日本大震災のニュースに接し、帰国。
今回のギャラリー仕事をさせて頂いて、常に自分とは縁もゆかりもない人々のために、自身を捧げるSさんに出逢えたことが嬉しかった。
Sさんは、自分の娘と同じくらい若い女性。
本日が最終日、国内はもちろん海外6ヵ国からも寄せられた「高田松原再生プロジェクト」の刺繍720作品。
小学5年生から90代までの方々が、一針一針縫って作った記念碑を、ご覧ください。
Sさんの名刺には「いわて復興応援隊 支援員」とあった。
被災地の出身ではなく、神奈川県小田原生まれなのだが、いまは陸前高田復興に青春を捧げている。
なぜ、神奈川から岩手の復興のために住民票まで移したのか伺った。
すると海外青年協力隊で西アフリカ・セネガルでの活動がある人だった。
任期を終えて帰国するも、アフリカの現状に貢献したい思いが再燃し、モーリタニアへ。
その活動中に、故国の東日本大震災のニュースに接し、帰国。
今回のギャラリー仕事をさせて頂いて、常に自分とは縁もゆかりもない人々のために、自身を捧げるSさんに出逢えたことが嬉しかった。
Sさんは、自分の娘と同じくらい若い女性。
本日が最終日、国内はもちろん海外6ヵ国からも寄せられた「高田松原再生プロジェクト」の刺繍720作品。
小学5年生から90代までの方々が、一針一針縫って作った記念碑を、ご覧ください。