Quantcast
Channel: 思いのしずく
Viewing all articles
Browse latest Browse all 577

仁和寺と御室派のみほとけ

$
0
0

イメージ 1


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7


音声ガイドから流れる読経に耳を傾けながら、仁和寺観音堂に並ぶ仏様の群像に圧倒された。
普段は非公開の観音堂内部を再現した須弥壇で、十一面観音菩薩を中心とする33体の仏様が真言密教のパワーを放っていた。
東寺の立体曼荼羅が21尊なので、それをしのぐ威容はすさまじい迫力があり、門跡寺院としての雅なイメージの仁和寺とは別の一面を見ることが出来た。
空海らが中国唐で書写して持ち帰った国宝「三十帖冊子」については、読売新聞の岩城択記者が次のように書いている。
「ひたすらな営みの結晶に書の愉悦をも感じるのは、空海の格調高く鋭い真筆に、異国の地でほとばしる自由闊達な心情を見るからだろうか。」
この冊子は想像していた以上にちいさかった。膨大な量を日本へ持ち帰るためには、小さくコピーする必要があったのだ。
しかし空海や橘逸勢が遣唐使として命がけで唐に渡ったのは、この密教経典を手に入れるためだったのだと思うと、まるで大きな奇跡が目の前にあるようだった。
しかも応仁の乱で焼け野原になった仁和寺が、守り通して来たことも感銘深い。
大阪の金剛寺の不動明王や福井の明通寺の降三世明王立像とも久々に再会した。
そして大阪・葛井寺の国宝 千手観音菩薩坐像。
千手千眼で衆生を救う仏様であるが、本当に大手40本、小手1001本の手を備えた造形が、密教の権化である孔雀の羽のように広がり美しい。
手のひらにはチベットの寺院に描かれているような切れ長の目力の強い眼が描かれていた。
主催の読売新聞が詳しく紹介しているが、小手は桐材が使われ軽量化されている。他にあまり例がなく天平時代のハイテクなのであろう、興福寺の阿修羅像の手首から先も桐材だそうだ。
指先は芯に銅線が使われた塑像造りで、指先の細やかな表情を造っている。
これまでにこれほど掌を合わせたくなることがあっただろうかと思うみほとけに祈りを捧げた。

イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


Viewing all articles
Browse latest Browse all 577

Trending Articles