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Channel: 思いのしずく
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嵯峨野の秋

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京都嵯峨野の大覚寺へ。
たまたまFacebookで、一昨日から「勅封般若心経」の公開が始まったのを知って、大阪からの帰路、寄り道した。
弘法大師空海の勧めによって嵯峨天皇が浄書されてから1200年、今まで60年ごとに開封されて来たが、関係者以外に公開されるのは初めてとのこと。
それは嵯峨天皇が書かれた弘仁9年(818)も、全国的に干魃や飢饉で民衆が苦しんだ年だった。
空海が嵯峨天皇に世の平安を祈り、写経することを勧めた理由もそこにある。
今年の日本列島にも度重なる自然災害が見舞った。
1200年の節目に、その傷みを癒すため初の一般公開となった。
4年前に初めてこの「勅封般若心経」の存在を知り大覚寺を訪ねたが、心経殿を外から拝するだけで、実物にまみえる日が来るとは想像も出来なかった。
間近でみる「勅封心経」は3分の1が読み取れないほど文字が薄く、1200年の経年を感じさせた。
ある情報で、「心経」にはたくさんの「欠字」があると聞いていた。病気になった平安貴族が空海と嵯峨天皇のご利益を願い、「心経」を切り取り、薬として飲んだという説である。
どうせ権力者のわがままがすること、少しでも「効き目」があるように「どんな字」を切り取ったのか興味があった。
また不思議なことに、門外不出であるはずの「勅封心経」の写真を載せた印刷物も見せてもらったことがある。それは写真が不鮮明ながら所々に文字が欠けていた。
ところが今日見た本物は、文字を切り取ったような痕跡が全くない。絹本に書いてあるのだから、切り取ったら穴が開くので切るはずがない。
その場にいたお坊様に聞いてみた。
藍染の絹地に金泥で書いてあるのだが、ふつうは接着剤として膠(にかわ)を使うが、この場合動物の殺生を嫌うので蜂蜜が使われたことが証明されているとのこと。
蜂蜜の接着剤で1200年も文字が残ったことに驚くと共に、「密封」のお陰だと思った。
貴族は金泥をこそげ落として文字を飲み、命乞いしたのだ。
良薬は口に苦しではなく、ハチミツの味だった!
霊宝館には復元模写が展示されていた。
嵯峨天皇の書体を再現するために、書家ではなく国宝「源氏物語絵巻」の復元を手掛けた模写制作家・宮澤千砂子氏が携わった。


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