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Channel: 思いのしずく
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シベリア・バイカル紀行 4

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チェーホフがシベリアのパリと語ったイルクーツク。

その街を歩きながら、丸太を組み合わせて作った古い家にシベリアらしい愛着を感じた。

釘は一本も使っていないそうで、窓もサッシなどどこにもなく、全て木作造り。

ロシア人は体が大きいのに、全体的に家が小さく、窓も小さいのは、暖をとるためだそうだ。

壁のペンキはグリーンやブルーが多く、窓枠だけは白が多かったように思う。

雪の白一色の世界で半年過ごさなければならない人々にとって、グリーンやブルーは、かけがえのない彩りなのであろう。

窓辺には鉢植えの花が置かれていた。

郊外の家は素朴な造りだったが、イルクーツクの町中の家は、まるでレースのように繊細な模様を木から彫り出していた。
 
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木造家屋には鎧戸が必ずある
 
 
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郊外の家はいたってシンプル
 
 
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                  イルクーツク市内の家には緻密な装飾が彫られていた
 

そうした古い丸太小屋を見ると、230年前に漂流し、この地に住みながら帰国の執念に生きた大黒屋光大夫一行5人の暮らした家も、あまり変わりないと思えて来た。

旅の最終日、まさかと思っていた、光太夫ゆかりの地に立つことが出来た。

石炭鉱業管理局のビルの隣の2階建て建物の土地に、光太夫達が滞在していたとおぼしき木造家屋があったという。

その場所から直角に曲がった道が「金沢通り」と呼ばれていた。
 
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    左のオレンジ色の建物が石炭鉱業管理局、その右の2階建ての建物の敷地が光大夫ゆかりの地
 

 
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シベリアの大地は、行けども行けども草原の割には、放牧されている牛や馬、羊が極端に少なかった。

今は草原に見えるが、束の間の草原であって、家畜を大量に飼育するには過酷な自然であることを知った。

夕闇が迫るのは午後10時を過ぎてからになる。

いったい家畜たちは何時まで草を食べているのかと観察していたら、10時17分に草を食べている牛を見たのが最後だった。

朝6時の夜明けから16時間も草を食べ続ける牛の成長は、どのくらい早く、搾乳量は……と考えてしまった。

ようやく夕闇迫る頃、丸太小屋の窓にともる灯を見ながら、団らんを囲んでいるのはロシア人の家族なのか、ブリヤート人、ツングース人なのか、それとも……。

少数民族の方々が作って来た歴史に、思いが広がる。

その中のどれかに我々のDNAの先祖となる人々が暮らす灯りがあると思うと、感慨も深まる。

出発前に辿り直した香月泰男のシベリア鎮魂歌。

シベリア抑留の日本人墓地に参ることは出来なかったが、道路や橋、鉄道などを見るたびに、抑留者が味わった塗炭の苦しみを思った旅でもあった。

色んな意味でシベリアは日本と縁が深い土地。

奇しくも40年余昔に流行った仲 雅美の 「ポルシカポーレ」 のCDが再発売されている。
この曲の美しいメロディーは、シベリアの景色によく合っていた。

   緑萌える 草原を越えて
   ぼくは行きたい  あなたの花咲く窓辺へ
   雲流れる  ロシアの大地へ


これを口ずさんでいた頃はまだソ連だったロシアに、行ける日が来ようとは考えもしなかった。
 
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