7月27日
緯度、標高、共に高いので、朝テントを開けると、霜が降りていた。
夜中の2時過ぎに、あまりの寒さでトイレに起きた時、テントの回りをヤクの群が囲んでいたのにビックリした。
懐中電灯で照らされたヤクの方もビックリしていた。
見上げた星ぼしの大きさ多さは凄い、星が見えすぎると、星座が分かりにくいという贅沢に息をのんだ。
朝陽がまぶしく照らすアルタイ山脈を見上げながら、今日めざすユーラシア岩画の中のキング・オブ・ザ・ぺトログリフ、神の鹿と遭遇出来ることを祈った。
氷河の雪解け水が急流となってくだるホワイトリバーを渡り、ロシア製準軍用車4WDでは危険だから徒歩で登坂してほしいという急坂を、喘ぎながら登った。
酸素が少ないために息苦しくて立ち止まると、足元にエーデルワイスやキキョウの仲間が束の間の夏を咲き誇り、風がハーブの香りを運んでいた。
緯度、標高、共に高いので、朝テントを開けると、霜が降りていた。
夜中の2時過ぎに、あまりの寒さでトイレに起きた時、テントの回りをヤクの群が囲んでいたのにビックリした。
懐中電灯で照らされたヤクの方もビックリしていた。
見上げた星ぼしの大きさ多さは凄い、星が見えすぎると、星座が分かりにくいという贅沢に息をのんだ。
朝陽がまぶしく照らすアルタイ山脈を見上げながら、今日めざすユーラシア岩画の中のキング・オブ・ザ・ぺトログリフ、神の鹿と遭遇出来ることを祈った。
氷河の雪解け水が急流となってくだるホワイトリバーを渡り、ロシア製準軍用車4WDでは危険だから徒歩で登坂してほしいという急坂を、喘ぎながら登った。
酸素が少ないために息苦しくて立ち止まると、足元にエーデルワイスやキキョウの仲間が束の間の夏を咲き誇り、風がハーブの香りを運んでいた。
標高2600メートルでカップがはじけそう。
たどり着いた標高2600メートルから見下ろす谷間の先には、銀嶺輝くアルタイ山脈の峰々がそびえていた。
9年前、岡本光平シルクロードツアーでアルタイ山脈の反対側、中国側からこの山脈を見上げた時に、まさかここに来るとは想像しなかった。
2600メートルの高地にたどり着くと、そこにも遥かな草原が広がっていた。
聖なるシベート山を取り囲むツァガーン渓谷だ。
しかもそこにはところどころ湿原もあり、それをつなぐ小川も流れていた。
それまで見てきた、氷河の雪解け水が勢い良く荒野を流れ下る荒涼たる風景と違い、草も豊かで放牧に適した地と感じられた。
この先になら、太古の人々の暮らしの場があってもおかしくないと思えるシチュエーションだった。
高さ20メートルほどの岩山の前で、クルマが小休止した。
岩山の裾を一回りすると、1組だけ狩人と鹿の岩画があった。
めざす岩画の宝庫はこれではないと思い、スルーした。
シベート山の裾野を一時間くらい走った先に、岩の大キャンバスが現れた。
磁石を見ると大きな谷間の西の裾野に突き出たテニスコートより大きい岩棚、その表面におびただしい数の動物のモニュメントが彫られていた。
どの絵柄からも、生きた動物たちの息づかいが感じられる。
百近い岩画の中に、失敗作は1つもない。
この岩のキャンバスがいかに重要な祭壇だったか、それだけでわかる。
アイベックスの凛々しい姿、馬、鹿、猪、ヤク、狩をする人間、馬車、今までで一番多種のモチーフが彫られていた。
照りつける太陽の下、拓本の作業をしていると、熱した岩の感触を太古の人と共有した気になっていく。
それにしても風景がでかい。
前にも後ろにも天にそそり立つ大岩壁の間に、岩画の岩棚が選ばれている。
前は東、背は西、大きな谷間が南北に走っている。
大きな収穫を得て帰途についた。
行きに小休止した岩山を再調査することになった。
登ってみたら、そこに探しあぐねていた神の鹿が鎮座していた。
必死で探していたガイドとガッチリ握手して喜びあった。
世界遺産というのに、地図も標識も何もなく、ゴミさえ落ちていないまったくの自然のまま。
探すのに苦労した分、岩画が彫られた太古の状況を満喫出来た。
神の鹿が彫られた岩は、朝、狩人を見つけた岩の真上だった。
拓本は翌日の作業として、いったんベースキャンプへ帰る。
前夜はテントで凍える寒さを味わったが、この夜からゲルでの生活が始まった。