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Channel: 思いのしずく
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志ん生一代

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戦争から帰った翌朝、志ん生が二男の清に銭湯で背中を流されながら語るセリフがある。
清は後の人気落語家志ん朝だが、この時はまだ19歳で、戦後のどさくさの中で落語家でやっていく自信を見失いかけているところだった。

「まだ若えな。大きい薬罐は沸きが遅いんだ。焦ることはねぇ。おれなんぞ、その年頃は円喬師匠の弟子になりたかったが断られて、天狗連でばたばたやっていた。はなし家は、ほかへ色眼なんかつかっちゃいけねぇ。小鍋はじきに熱くなるが、さめるのもじきだからな」

芸を磨くためには誰よりも命懸けで熱心だった、志ん生の面目躍如たる言葉だ。

年末年始を久々にゆっくり過ごせた今年は、正月こそ、たっぷり「人情」に浸かって過ごしたいと、以前買って楽しみにしていた結城昌治の『志ん生一代』を読んだ。

志ん生の高座を見たという記憶はないが、とにかく死んでもなお人気が衰えない伝説の人である。
その伝説を詳しく知りたいと思ったのだが、想像以上に破天荒、落語の登場人物そのまま桁外れに凄い。

先のプロ魂を息子に聞かせたセリフが他人のものかと思うほど、私生活のだらしなさは果てしない。
芸の肥やしというけれど、飲む、打つ、買うの徹底さが常軌を逸しているから、貧乏も底抜け。
はたから見たらだらしないが、本人は命懸けでそれにのめり込んでいるのだ。
それに加え人付き合いが悪く、我が儘を通し続けた。

人として最低の生き方を続けたにも関わらず、はなし家の名人の筆頭に登り詰めた訳は何なのか。
自伝ではなく小説の形で、結城昌治の筆がその謎を紐解いていく。

「私が書きたかったのは自我に徹して生き抜いた一人の芸人の姿であり、そのような芸人を育てた時代だった。」

上下900ページ余の長編の3分の2は気が滅入るほどの貧乏物語だが、残りの3分の1で器の大きい薬罐が沸騰していく様は見事。

「あたかも昭和十五年(1940)は紀元二千六百年にあたるというので、戦争がなかったら万国博覧会が開催されるはずでオリンピックも東京開催に決まっていたが、国内の情勢はそれどころではなかった。万国博は延期、オリンピックも返上してしまった。」
時代背景の著述も興味深かった。

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