「震災」を風化させない、忘れない、災害に負けずに生きる、そのことを支援する、共有する、そんな思いのこもったイベントにしたいと思っていますーーと語る天野寛子先生。
今回のイベントでは、「天野寛子フリーししゅう画展」と、「ししゅう高田松原プロジェクト」を同時開催する。
■ 「天野寛子フリーししゅう画展」
たまり続ける震災大津波の被害、原発事故に関する新聞報道写真を前に、落ち着かない自分のこころを落ち着けるために始めた「東日本大震災の刺繍作品づくり」でした。
被災地では皆頑張っていますが、まだ、「復興した」ともいえませんし、大津波によって引き起こされた福島第一原発事故処理は、まだこれから先何十年も続きます。私にとって作品を作ることが震災を「忘れない」ための方法なのです。
■ 「ししゅう高田松原プロジェクト」
大津波により7万本あった松が根こそぎさらわれた陸前高田松原を、「ししゅう、アップリケ、刺し子等手芸で再現しよう」という呼びかけに応じて、地元と全国から寄せられた、20センチの正方形、テーマ「松」の作品を展示します。
みんなの宝物、ふるさとの象徴である松原は、被災者の方々も、直接には被災しなかった方々も、自分の思い出を込めながら制作しました。
全国から「松原」を再現した作品が、720点集まった。
ししゅうは絵画ほど皆に親しみがあるわけでなく、実際むずかしい制作である。
それなのに此れだけ集まったことに、凄いエネルギーを感じる。
一つのテーマに720点の刺繍作品、まるでギネスものだと思う。
ししゅうだから、一針一針糸で縫っていく。
むかし千人針という言葉があったが、針で縫う行為には、おそらく縄文時代の昔から、人びとの究極の思いが籠ってきたのであろう。
その行為そのものが「絆」だと天野先生はおっしゃった。
遠く離れた沖縄や北海道の人たちも、針で縫いながら、東北の女性たちが育んできた手仕事の歴史に思いを馳せたかもしれない。
デパートのギャラリーとしては異例の販売しない催しを主催してくださる(株)藤崎、そこに到るまでの調整に尽力くださった美術ギャラリーの皆様に、心から深く感謝申し上げます。
「東日本大震災を記憶し続けるために」と銘打って、全国各地の来場者からたくさんの共感を頂き、感動を呼び起こしてきたこのプロジェクト。
そのバトンを受け継いだ私にとって、甚大なる被害を被った被災地宮城県では「忘れたくても忘れられない」という声がある現実にも突き当たった。
それだけ心に深い傷を残した教訓から立ち上がるためにも、そして未来を切り開くためにも、5年目から10年目にむけて全国から寄せられた絆の糸が、より逞しい一本に繋がっていくことを祈らずにいられない。