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モンゴル 前編

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ホブド空港


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モンゴルの夏 2016.8.19~27
昨年の7月、カザフスタンの国境に近いアルタイ山脈の麓に世界遺産の岩画「神の鹿」を探訪した岡本光平岩画調査ツアーに続いての旅だった。
昨年の旅の最終日に、ウランバートルの自然史博物館で旧石器時代に遡る岩画がモンゴルに存在することを知った岡本団長が、その場で第2次モンゴルツアーを決定。
地元旅行社の現地調査により候補地を絞り、西部地区のホブド県と東部のチンギス市に近い旧石器時代の3ヶ所の遺跡を中心にアタックすることにした。

 21世紀のこの地球上で、ありのままの何もない荒野、沙漠、草原が残されているモンゴルの大自然に、どっぷり9日間つかってきました。
いまは何もない大地に、かつて様々な生存競争を活発に繰り返した人や動物たちの痕跡を探る旅であり、我々の先祖の源流を辿る旅でもありました。
時代は旧石器時代、いまから1万2千年~4万年前。

スペインのアルタミラやフランスのラスコーの洞窟壁画が、世界中の歴史の教科書で人類の進歩をヨーロッパ人がリードした物語を広めました。
しかし1953年、モンゴル西部ホブド県のホイドセンヘリーン洞窟の中で、遊牧民が岩壁に描かれた絵画を発見、これが新たな世界史の幕開けとなりました。
1963年に訪れたロシアの著名な考古学者オクラード・ニコフは、この洞窟はヨーロッパ人が文明を先駆けたのではなく、アジアもヨーロッパも同時に発展し始めた証拠となるものだと世界に発表。
それまでヨーロッパが文化的、アジアは下に見られていた価値観を覆したのです。
同行したホブド大学の学者は、
「ここはモンゴルのではなく、アジアの技術が始まったところ。そしてここが素晴らしいのは、旧石器時代がそのまま残っていることです。」
と語っていました。
夏にはヨーロッパ人やアメリカ人の見学者が多く訪れますが、日本人の団体は初めてだと言われました。




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                              洞窟への道


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                       山腹に洞窟の入り口が見える


恐らく氷河が削ったと思われる大きな谷間の一帯は砂礫の広がる土地で、その中央に一筋だけ澄んだ川が流れていました。
古代人の痕跡は、必ず水と遠くないところにあります。
川の畔から見上げると、30~40メートルほどの高さに洞窟の入口が見え、そこにいまから入っていったら何が待っているのかと思うと、胸の鼓動が高まりました。
洞窟と言っても想像していた規模を遥かにしのぐ大きな入口に圧倒され、中に降りて行く一歩一歩に、2万7千年から2万8千年の時空を超えて、旧石器時代へ続く厳かな参道を降りて行く想いを感じました。
洞窟の奥の壁に懐中電灯の明かりで浮かび上がったのは、旧石器時代の人が描いたマンモスや鹿などの動物でした。
その動物たちとの生存競争に明け暮れていた先祖たちの、本当に生きていた証を見て、目の前にネアンデルタール人の躍動する世界が蘇りました。
半年前にスヴァンテ・ペーボ著「ネアンデルタール人は私たちと交配した」を読んでいたのですが、彼らの遺伝子が私たちの中にも遺されているのです。
ネアンデルタール人もしくはクロマニヨン人が生活に使っていた川、描いた絵をみて、そこから時は流れに流れ、今日まで永々と営まれてきた命の連鎖を思う時、虚空の荒野や草原にも人々の思いが積み重なっているように思えて、胸がつまりました。
その思いが形になって、直接語りかけてくれるのが、岩絵であり、岩画です。
太古の人々は万年を超える作品を、どんな思いで残そうとしたのか。
今の我々に何を告げているのか?


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         ホブドの博物館に展示されていたマンモスの岩絵の模写とガイドのツェンゲルさん


窟のある岩山は標高2200メートルくらいの高地にあり、前夜はその近くのツーリストキャンプのゲルに泊まりました。
天の川が夜空を横切り、北斗七星が目の前の山の上に接するくらい近くに見え、宇宙の中に佇むような神秘的な体験を味わいました。

この夜の食事に「ホルホグ」が出ました。焼いた石で子羊を蒸し焼きにする伝統料理で、3度目のモンゴルで、ようやく味わえた最高の羊の美味しさでした。
美味の「美」という文字は、「羊」と「火」から成るということが、最も納得出来る体験でした。


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ホブド県は首都ウランバートルから西に1千425キロメートル、飛行機で2時間30分、中国とロシアと国境を接し、人口は約9万人。モンゴル人とカザフ人と15の少数民族が暮らしている。ウランバートルよりも古く都が開かれた所で、ホブド大学があり、現大統領の出身地でもある。

洞窟の次に行ったところも面白い場所でした。
「ヌフン・ウトゥグ Nuhun Utug」穴の糞という地名であり、家畜の越冬場でした。
川からそれて山の狭い谷間をかなり登って行ったどん詰まりに、三方を切り立った岩壁に囲まれた空き地がありました。
ここで零下30度にもなる冬から家畜を守ってきたそうです。
テニスコート二つ分くらいの広さの地面には、羊や山羊の糞がびっしり堆積していました。掘れば6メートルの深さもあり、3千年前から人と家畜がここに住んできたと言います。
その証拠となるのが、谷間の岸壁に彫られた岩画の数々なのです。



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                                  越冬場


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                   上のフォトの4時の方向の壁に彫られている岩画


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                            フフンデル山トレッキング


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22日は山の頂きにそびえる岩に彫られた岩画を目指してトレッキングに挑みました。
フフンデル岩画です。
山頂から見下ろすと、辺り一帯見渡す限り砂礫地帯が広がっているのですが、やはり川の流れが一筋見えました。
ここへ来る途中もこの後も、草地が少ないためかラクダの群れにたくさん出会いました。
そして前半のもう一つのハイライト、「イシゲントリゴイ岩画」遺跡へ向かう途中、乾燥した大地の所々から竜巻が上がる光景を目にしました。
モンゴルらしい馬や羊の姿はまったく見られず、どこへ行ってしまったのか、時々ラクダの群れがいるばかり。
そんな乾燥地帯を走りながら、暑さと行けども往けども変わりない平原の景色に眠気を誘われる頃、前方の山裾に湖が現れて来ました。
こんもりとしたポプラの林をバックに赤や青の屋根をした家々の姿が鏡のように湖面に写っています。
湖はどんどん広がり、美しいオアシス風景に我を忘れました。
もっと近くまで行って写真を撮ろうとしていたら、いつの間にか砂礫の原を走っていました。
その間10分くらいだったでしょうか、見渡す限りあった湖面が消えてしまった後で、蜃気楼だったことに気付きましたが、写真を撮っていないことを悔やんでもはじまりません。
ガイドに確認すると、地元のドライバーの「この辺りはゴビ砂漠の環境に近いので、蜃気楼が時々出ます」という説明を通訳し、「私も初めてミラージュを見た」と喜んでいました。
そこからすぐにイシゲントリゴイ岩画遺跡に着き、皆で拓本作業に取りかかりました。
ここもモンゴルで発見された10ヵ所の旧石器時代の遺跡の一つです。


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                  湖に浮かんでいたはずの集落、幻の蜃気楼


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                            イシゲントリゴイ岩画遺跡

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