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モンゴル 後編

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草の海をひたすら東へ


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                           だんだん樹林が増えてゆく



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第2次「岡本光平モンゴル岩画調査ツアー」の後半は、ウランバートルから東へ400キロメートル、緑の大草原をランドクルーザー4台で走ること9時間の旅。
往けども行けども真っ青な空と緑の草原、草を食む羊や牛や馬たちが群れる景色、その広さがモンゴルらしい。
目指すのは第3番目の旧石器時代の遺跡「ラシャーン岩画」。(ラシャーンとは温泉の意味)

そしてもう一つ旅の楽しみにしていたのは、チンギス・ハーンの生まれ故郷に近い所まで行けること。
高校時代に井上靖の「蒼き狼」を読んで以来、さまざまに想像をめぐらしてきた風景に、実際対面するのは憧れの恋人に逢うような熱き心が甦りました。

モンゴル帝国建国800年を翌年に控えた2005年の夏、チンギス・ハーンが都にしたカラコルムを訪ねました。
マルコ・ポーロをはじめ世界各国の使節がチンギス・ハーンに会うために訪れたモンゴル帝国の首都は、草原の草に埋もれて、殆ど跡形もありませんでした。
まさに、 夏草や 兵どもが 夢の跡 。

今回はチンギスが少年だった頃、テムジンの見た景色をこの目で見ることが出来ました。
それは草原ではなく、樹林地帯を抱えた山岳の風景で、足下には草原では見られなかった山野草の花が咲いていました。

ウランバートルで泊まったホテルの前に、革命家の名を冠したスフバートル広場があります。
ところが今回、チンギス・ハーン広場と名称が変わっていました。
昨年の8月に名称変更したとのことです。
中国清朝時代もソビエト時代もチンギス・ハーンやモンゴル帝国の名前は禁じられ、教科書にも載っていなかったという歴史から、モンゴルもようやく自由になりつつあるようです。

草原のテーマパークには高さ40メートルもあるチンギス・ハーンの巨大像が立ち、新名所となっていました。


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                      チンギス・ハーン広場、中央にチンギス像。


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                        スフバートル像と宿泊したホテル(中央)


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                              チンギス・ハーン



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拓本調査の最終目的地ラシャーン遺跡は、360度の大草原の真ん中にそびえる岩山でした。
 移動のために所有物を最小限にする遊牧民のライフスタイルゆえに、世界史上最大帝国の遺産がほとんど残らないモンゴルで、遺跡が見られるのは奇跡のようなものです。
岩山の下に幅7メートルくらいの横長のモニュメント岩がありました。
その表面にはおびただしい紋様が、モザイクのように彫られていました。
馬の蹄の形あり、卍のような形あり、ドーナツのような形あり、様々な形をくっきりと見ることが出来ました。


モンゴル歴史考古学研究アカデミーのバドホルト先生の説明によれば、ここは有力部族長たちが集まって会議をした重要な場所、これらの紋様は会議に出席した族長が記念に自分のシンボルを彫ったものということでした。
岡本光平先生によれば、後のちその会議はモンゴルの部族長会議クリルタイに発展して行く、モンゴル帝国サミットの原型という説明に納得。
拓本作業に入る前に、聖地に向かって皆で合掌しました。

ウランバートルから往復2日間、拓本を採るのにのに1日、15人がかりで1枚の巨大な拓本を採れて、調査プロジェクトも大成功に終わりました。


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                               ラシャーン遺跡


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                           遺跡を調査する参加者たち



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                     拓本の前で岡本光平先生とバドホルト先生


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                                  オボー


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ラシャーン岩画は1万2千年~8千年前に彫られたものだと言います。
その頃のモンゴルは今と同じ気候で、暮らしやすく、人々は狩りをして暮らしていたそうです。
ただ違うのは、マンモスやサイが草原を行き来していたこと。
そしてこの部族紋章のレリーフ壁面の正面にある岩には、2頭のマンモスが彫られていました。

バドホルト先生に、この場所にチンギス・ハーンも来ていたのか伺いました。
「元朝秘史に記録はありませんが、生まれ故郷にも近く、聖なるこの場所を通った可能性はあります。」
と言って頂きました。
さらにロシアの考古学者オクラード・ニコフも来ていますかと尋ねましたら、1972年に調査で訪れているそうです。
その後、ニコフさんの弟子たちがモンゴルの考古学の研究に尽力していると伺いました。
オクラード・ニコフは岩画の神様のような人です。

一方、この遺跡の目と鼻の先に、今も人々が信仰するオボー(祭祀的な石積)がありました。
大草原のまっただ中にあり、遊牧民が崇めて来た聖地。
オボーの前で参加者全員で般若心経を唱えながら、2年連続モンゴル岩画プロジェクトで体験した出逢いを、脳裏に焼き付けました。


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                            夏でも朝の寒さは厳しい


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                         高山植物の中に吾亦紅もあった


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今回の旅の友に、岡本先生が敬愛する保田與重郎の「わが萬葉集」を持参しました。
その一節、
「歌の内容に殆ど何ごとも説明せず、しかもさまざまのことを思はせてなつかしいのは、古典のふかさである。このふかさを今生今世に悟り、一歩一寸でも古人に近づこうと努めることが、歌の学びの肝心の一つである。」
この文章が心に残りました。
「歌」を岩画に置き換えたとき、全ての説明を省いた岩画に込められた古人の深きメッセッージに、もっと心の耳を傾け、悟りたいと願っています。

※拓本の成果は世界的にも大変貴重なものなので、ここではご紹介を控えさせて頂きました。来年以降の岡本光平先生の個展にて発表されますので、ご期待ください。


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近代化に向けて変化の激しいモンゴルで、チンギスハーン国際空港も改装されていました。壁には去年は無かった岩画が描かれていました。いよいよ岩画時代の到来です。


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