あちこち駆けずり回っているうちに秋を味わう間もなく、寒気が日本列島を覆って来ました。
今年の夏、白内障の手術をして視力を回復した父親に、ふるさと妙義の燃える錦秋を見せてやりたいと先週末に帰省しました。
途中、関越道に乗る前に十割蕎麦を食べさせる三芳の手打ち蕎麦屋に立ち寄りました。
すると武蔵野の面影を残す大地にコスモスが一面に咲いていて、打ち立て蕎麦の香りと共に、秋を賞味させていただきました。
生憎、妙義山の紅葉は霧に霞んで幻の景色でしたが、長らく霧に霞んでいたもうひとつの景色を見ることが出来ました。
絵描きは生涯現役という頼もしい言葉がありますが、絵描きだった父親は認知症になりかかった時期から、筆をまったく執らなくなりました。
はじめはそのこと自体が衰えの兆候と思っていて、何度も筆を握らせようとしましたが、本人は頑なに拒絶したままでした。
やがて父と交わす会話が、かなりの部分かすみがかかっているのに、芸術の話題に関しては、まるで別人のように鋭い指摘をすることに気づきました。
父は父なりに筆を執らないことで、絵描きとして最後の矜持を踏ん張っているのかも知れないと思うようになりました。
今回、帰省して初めて知ったことがあります。
油絵だけでなくデザインやレタリングも好きだった父親は、年賀状にも長年凝ってきましたが、少し前から母親が一回り前の干支のデザインを使って印刷していたとのこと。
それを聞いて、あわてて実家を飛び出し、文具店に駆けつけて筆と墨汁を買って帰り、筆を握らせました。
すると気持ち良さそうに、馬をすらすら50ほど書いたのです。
最近5年ほど、筆どころか筆記具一切を拒絶してきた人が。
嬉しい驚きでした。
眼が見えること、それは光りそのものですね。
すでに片眼の視力を失っていた父の白内障手術に、私たち家族が一抹の不安を抱えていた時に、一か八かの手術に賭けてみましょう! と背中を押して下さった医師に、感謝するばかりです。
来年こそは錦繍の秋に向かって、絵筆を執らせたいと密かに思った次第です。
今年の夏、白内障の手術をして視力を回復した父親に、ふるさと妙義の燃える錦秋を見せてやりたいと先週末に帰省しました。
途中、関越道に乗る前に十割蕎麦を食べさせる三芳の手打ち蕎麦屋に立ち寄りました。
すると武蔵野の面影を残す大地にコスモスが一面に咲いていて、打ち立て蕎麦の香りと共に、秋を賞味させていただきました。
生憎、妙義山の紅葉は霧に霞んで幻の景色でしたが、長らく霧に霞んでいたもうひとつの景色を見ることが出来ました。
絵描きは生涯現役という頼もしい言葉がありますが、絵描きだった父親は認知症になりかかった時期から、筆をまったく執らなくなりました。
はじめはそのこと自体が衰えの兆候と思っていて、何度も筆を握らせようとしましたが、本人は頑なに拒絶したままでした。
やがて父と交わす会話が、かなりの部分かすみがかかっているのに、芸術の話題に関しては、まるで別人のように鋭い指摘をすることに気づきました。
父は父なりに筆を執らないことで、絵描きとして最後の矜持を踏ん張っているのかも知れないと思うようになりました。
今回、帰省して初めて知ったことがあります。
油絵だけでなくデザインやレタリングも好きだった父親は、年賀状にも長年凝ってきましたが、少し前から母親が一回り前の干支のデザインを使って印刷していたとのこと。
それを聞いて、あわてて実家を飛び出し、文具店に駆けつけて筆と墨汁を買って帰り、筆を握らせました。
すると気持ち良さそうに、馬をすらすら50ほど書いたのです。
最近5年ほど、筆どころか筆記具一切を拒絶してきた人が。
嬉しい驚きでした。
眼が見えること、それは光りそのものですね。
すでに片眼の視力を失っていた父の白内障手術に、私たち家族が一抹の不安を抱えていた時に、一か八かの手術に賭けてみましょう! と背中を押して下さった医師に、感謝するばかりです。
来年こそは錦繍の秋に向かって、絵筆を執らせたいと密かに思った次第です。