かつて凄い画家がいたことを知り、その生誕100年を記念する木村忠太展を開催している高崎市美術館を訪ねました。
読売新聞が毎月最後の土曜日に掲載する美術エッセイ、芥川喜好さんの「時の余白に」で木村忠太を知りました。
芥川さんは、
「絵をかく人とは、線が肉体をもつことを知る人、線一本に身を投入することができる人なのです。」
と言い、長年の取材で無数の美術家に接して来ましたが、
「そのなかで誰よりも強烈に、まざまざと、“絵をかく人”であることを思い知らせてくれたのは、油彩画家木村忠太でした。」
と書いています。
パリで勉強して帰国し、日本で活躍し有名になった人はたくさんいます。
木村忠太は34年間パリで制作し70歳で亡くなりますが、帰国したのは68歳の時に2週間だけでした。
晩年は藤田嗣治夫人からパリのアトリエを譲られて、「魂の印象派」と呼ばれた制作の日々を送りました。
「感動する自らの内と外とのゆらぎそのものをありのままみつめ、線描と色面を幾重にも重ねて描くスタイルを、木村は“魂の印象派”と呼びました。
一瞬の光をとらえた印象派を引き継ぎつつ、時の流れ、つまり刻々変化する感動そのものを表現しようと試みているため、絵を前にした私たちも、まるで風景の只中にいるように、あふれる色彩に包まれる経験をします。」(主催者挨拶より)
目の前にある風景ではなく、心の内側にあり実際の風景よりも生き生きした風景を感じさせてくれる木村忠太の作品でした。
絵の前に立つと、絵の中のモチーフが動き出すのです。
曽宮一念の作品が好きな自分にとって、どこか通じる心地好さを感じましたが、一念からは日本の光を、忠太からは南仏とパリの光を感じました。