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Channel: 思いのしずく
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栄光を支えるもの

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ハーフパイプの小野塚彩那選手は天才少女でありながら、ブロンズメダルの陰に様々な苦労を重ねていた。
遠征費用を捻出するためのに解体工場でのアルバイトや稲刈りのコンバインの運転もこなして来た。
それが最後の最後、最も大事な場面で生かされた。
勝負に勝つには練習以外の苦労を味わうことも必要、それが人間の底力を養う。

1月の京阪百貨店の仕事の際、ギャラリーの前の万年筆売場に懐かしい人の顔があった。
十数年前に絵を買って頂いて以来だったが、満面の笑顔で挨拶してくださった。

大阪府立淀川工科高校の吹奏楽部の顧問で指揮者の丸谷明夫先生 (68歳) である。

甲子園出場より難関と言われる吹奏楽コンクールで、全国大会への出場は35回、そのうち金賞受賞は全国最多の26回という日本吹奏楽界の伝説の指導者である。
1月20日発売の「アエラ」が、丸谷明夫先生を特集していた。

吹奏楽に憧れて淀工を受験する中学生が増えているという。
中には一家揃って東京から大阪に引っ越し、淀工に入学、吹奏楽部に入部する生徒もいる。

部員数210人、全校生徒の4人に1人が吹奏楽部という大所帯だが、丸谷先生は全員の名前はもちろん、性格や演奏の特徴も掴んでいる。

淀工吹奏楽部は商店街、マラソン大会、阪神タイガース優勝パレード、日雇い労働者が集まる釜ヶ崎の野外コンサートなど様々な所へ大型バスで移動し、出前演奏をしている。
劇場、ホールで客を待つだけではなく、積極的に市民の場に出ていくことにより、芸術ファンを増やそうとしてきた。

丸谷先生は小学4年の時に病気で母を亡くす。
それまで真面目に理髪師として働いていた父親は、妻を亡くした傷心からか、給料を入れなくなり、家計は窮乏。
丸谷少年は新聞配達で幼い弟2人の面倒をみた。

1度は諦めた高校進学だったが、貧乏に負けじと府立西野田工業高校に入学、吹奏楽部に入部。
毎晩8時まで猛練習、帰宅後11時まで勉強、3時には起きて身仕度。
2キロ離れた大阪市中央卸売市場へ自転車で駆けつける。
5時からセリが始まると、雇われている仲買人の店に魚を運び込み、台に魚を並べる。

朝の7時過ぎまで働いてから帰宅し、登校。
学校では魚くさいと言われたが、これで得た大卒の初任給に匹敵する報酬で学費を払い、家計を支えた。


淀工OBと現役部員による演奏会を毎年開催している。
2700席のホールで2日間、4回行うのだが、チケットは即日完売という人気。

シンクロナイズドスイミングの指導者としてオリンピックで活躍している井村雅代さんも丸谷先生のファンとして、昨夏から100枚のチケットを予約している。

「自分がシンクロを教えている子どもらの親に、丸谷先生と吹奏楽部の子らの演奏を見せたい、聴かせたい。それで、子どものもつ力、可能性というものを親たちにわかってほしいんです。
指揮している先生の背中見ていたら “楽しい” って書いてあるよって丸谷さんに言ったら、“あんたもそうやんか” って返されました」



※「アエラ」の写真と今井一氏の記事による。

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