襖プロジェクトの最終章 「雲龍瑠璃光」の制作。
空海伝来の飛白体と1200年後の現代アートが邂逅する奇跡の結晶なるか、岡本光平が挑む乾坤一擲の挑戦。
当初の計画では、中央の水屋に通じる2枚の襖に、飛白体で抽象を表現する予定だった。
この時点での作品サイズは、ほぼ二曲屏風のスケールである。
水屋と不動明王を祀る護摩堂の間に一間の漆喰壁があった。
ここにも飛白を書かせて頂きたいという作家の思いが、大林ご住職の心を動かした。
さらに襖の左の白壁、この壁は享保元年(400年前)に建てられた本堂の外壁を塗り直したもの。
この壁の前には大きな座布団タンスがあったのだが、それをどかして作品のキャンバスにすることをご住職が決断。
空海伝来の飛白体と1200年後の現代アートが邂逅する奇跡の結晶なるか、岡本光平が挑む乾坤一擲の挑戦。
当初の計画では、中央の水屋に通じる2枚の襖に、飛白体で抽象を表現する予定だった。
この時点での作品サイズは、ほぼ二曲屏風のスケールである。
水屋と不動明王を祀る護摩堂の間に一間の漆喰壁があった。
ここにも飛白を書かせて頂きたいという作家の思いが、大林ご住職の心を動かした。
さらに襖の左の白壁、この壁は享保元年(400年前)に建てられた本堂の外壁を塗り直したもの。
この壁の前には大きな座布団タンスがあったのだが、それをどかして作品のキャンバスにすることをご住職が決断。
いままで東京・細川公爵邸やアメリカのハモンド美術館やエール大学美術館、日本橋三越、高松三越で屏風に飛白書を実演するパフォーマンスは行ったことがある。
しかし今回は初めての漆喰、さらに垂直の壁への挑戦、果たして墨を吸うのか、弾くのか。
普段、緊張を見せたことがない作家が初めて見せた緊張に、護摩堂が静まり返った。
今回の制作はすべてが一発勝負の真剣そのものだったが、ここに来て最大の難関をクリアしていく作家の後ろ姿に、雪山の最高峰を目指す孤高のクライマーが重なった。
結局、当初2メートル弱の予定だった飛白体の作品が、横8メートル20センチ、縦2メートル46センチという巨大な作品として誕生。
最初作家は抽象作品なので無意識の中にも漠然と、護摩堂本尊の不動明王をイメージして書き始めたという。
書き進める内に、本堂に祀られている薬師如来、護摩堂に祀られている不動明王、それをつなぐ架け橋になって欲しいという思いが湧いていき、この作品が生まれたという。
結局、当初2メートル弱の予定だった飛白体の作品が、横8メートル20センチ、縦2メートル46センチという巨大な作品として誕生。
最初作家は抽象作品なので無意識の中にも漠然と、護摩堂本尊の不動明王をイメージして書き始めたという。
書き進める内に、本堂に祀られている薬師如来、護摩堂に祀られている不動明王、それをつなぐ架け橋になって欲しいという思いが湧いていき、この作品が生まれたという。
5月31日 第74番札所 甲山寺
四国霊場開創1200年結願法要
一般公開は、同日の午後1時30分から4時。