茶わん坂を上って清水寺を参拝した。
日本人より外国人観光客の方が多い印象だったが、派手な和服を着た外人女性が多いのには驚いた。
そんな貸衣装屋が繁盛していたが、日本の着物文化は衰退の一途。
清水寺参道を下り初めてすぐに、清水寺塔頭眞福寺大日堂のまえで足が止まった。
土産物の店と店の間に小さな寺があり、仏が祀られていた。
拝んで出ようとした時に、この仏が特別のものであることに気付いた。
東日本大震災で壊滅した陸前高田の松原の、流されて戻ってきた松を、1万人以上の人がノミで削って作られた仏像とあった。
実はいま次なる仕事で頭の中はいっぱいなのだが、その仕事とは震災から5年目となる3月11日に、仙台の藤崎デパートで「天野寛子展・ししゅう高田の松原プロジェクト」というイベントを私が担当する。(後日お知らせします)
たびたび来ていて余り興味のない清水寺に、なぜ足を運んだのか?
この仏と皆の祈りに導かれて来たのか、と思わざるを得ない出合いだった。
歩けば不思議に当たる。
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冬の京都歩き 3
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