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Channel: 思いのしずく
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神の道

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般若心経が多くの人に愛されて来た由来に、思い当たる文章に出会った。

般若心経が諭すのは、無、空である。
その境地はプラスもマイナスもない、ゼロである。

宗教でありながら、その教えさえ無いと言っているのだ。

しかし今回目にした 島田裕巳「神道はなぜ教えがないのか」の中の

「日本人は、神道に対して、現状がそのまま無事に続いてくれることや、少し状態が改善されることを望みはするものの、今抱えている悩みや苦しみから根本的に救ってもらうことを望んだりはしない(p146)」

これこそゼロの境地であろう。

「神道には、教義、教祖、救済がない。」(本書のコピー)

神社の祭神は鏡であることが多い。
鏡は見る者を映すけれど、自分自身を映すことは無である。

さらには古代の鏡がみな、ゼロのように丸い形なのはなぜなのか。
四角い形の古代鏡を見たことがない。

神社の祭神が空っぽであったり、石や山という空に通じるものであることを思うと、驚くほど般若心経に近いものを感じるのである。

鳥居をくぐり、何もない玉砂利を歩くことで、すでに心が浄化されていく。

般若心経を唱え、写経し、マニ車を回すのと同じように、心がリセットされていく。

神道とは、ゼロにたどり着くために神がつくり給った道なのか。

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