年末に宮城県白石市の木人形作家 渡辺雄二先生のアトリエを訪ねた時、書斎に並ぶ本の中で山本兼一 「利休にたずねよ」が目に止まった。
この本が直木賞受賞した折りに関心を持たなかったのは、野上彌生子 「秀吉と利休」 を読んでいたのと、戦国もの歴史小説に食傷していたためだと思う。
渡辺先生の作品が持つ独特のこだわりに感心していたが、アトリエを訪ねたことで作家のライフスタイルが洗練された美意識に貫かれていることも解った。
簡素だが贅沢、たおやかだが無駄がない、心地好い緊張感を保ちながら自然体で暮らしておられる。
そんな暮らしをベースに一日中、精神を研ぎ澄ませて制作に没頭する姿は、物事の本質を究める修行者にも重なる。
「利休にたずねよ」 を読む気になったのは、修行者のアトリエの書斎にその本があったからだった。
全編にわたりみなぎる山本兼一氏の、利休に迫ろうとする気迫に圧倒された。
続けて矢も盾もいられずに、「命もいらず名もいらず」 を読んだ。
こちらは幕末から明治維新にかけて、山岡鉄舟を主人公に西郷隆盛や勝海舟が活躍する。
それも食傷するほど読んできたので、本来ならパスしてしまうところだが、利休の興奮覚めやらぬまま突入、新たな人物群像の鳥瞰を楽しむことができた。
もういないと見捨てていた池で、2尾目の大魚を釣り上げた。
「利休にたずねよ」 が侘び茶の神髄に迫る作品とすれば、「命もいらず名もいらず」 は剣と禅と書の奥義を究めた人間に肉薄する作品であった。
と一口で言うのもおこがましいほど、茶道、武道、禅、書について、これだけ深く解りやすく書く作家の努力に驚かずにいられない。
山本氏も達人だ。
縄田一男氏の解説に紹介されている山本兼一氏の言葉が嬉しい。
「人間の弱さ、救いがたさを書くのは純文学にまかせて、時代小説、歴史小説は人間の強さを書くのが本道ではないか」
そして山本氏が書く人間の強さとは、力だけでなく、生き方の美意識を貫く強さ、潔さであるところが壮絶である。
昨年読んで感激した中村彰彦 「名君の碑」 の保科正之に続いて、山岡鉄舟も徳川の歴史の表舞台を大手を振って歩く偉業を成し遂げながら、虚を捨て裏方の実に徹した巨人であった。
凡人の想像を絶する、超人の世界を垣間見させてくれる小説家の才能、つくづくありがたい。
この本が直木賞受賞した折りに関心を持たなかったのは、野上彌生子 「秀吉と利休」 を読んでいたのと、戦国もの歴史小説に食傷していたためだと思う。
渡辺先生の作品が持つ独特のこだわりに感心していたが、アトリエを訪ねたことで作家のライフスタイルが洗練された美意識に貫かれていることも解った。
簡素だが贅沢、たおやかだが無駄がない、心地好い緊張感を保ちながら自然体で暮らしておられる。
そんな暮らしをベースに一日中、精神を研ぎ澄ませて制作に没頭する姿は、物事の本質を究める修行者にも重なる。
「利休にたずねよ」 を読む気になったのは、修行者のアトリエの書斎にその本があったからだった。
全編にわたりみなぎる山本兼一氏の、利休に迫ろうとする気迫に圧倒された。
続けて矢も盾もいられずに、「命もいらず名もいらず」 を読んだ。
こちらは幕末から明治維新にかけて、山岡鉄舟を主人公に西郷隆盛や勝海舟が活躍する。
それも食傷するほど読んできたので、本来ならパスしてしまうところだが、利休の興奮覚めやらぬまま突入、新たな人物群像の鳥瞰を楽しむことができた。
もういないと見捨てていた池で、2尾目の大魚を釣り上げた。
「利休にたずねよ」 が侘び茶の神髄に迫る作品とすれば、「命もいらず名もいらず」 は剣と禅と書の奥義を究めた人間に肉薄する作品であった。
と一口で言うのもおこがましいほど、茶道、武道、禅、書について、これだけ深く解りやすく書く作家の努力に驚かずにいられない。
山本氏も達人だ。
縄田一男氏の解説に紹介されている山本兼一氏の言葉が嬉しい。
「人間の弱さ、救いがたさを書くのは純文学にまかせて、時代小説、歴史小説は人間の強さを書くのが本道ではないか」
そして山本氏が書く人間の強さとは、力だけでなく、生き方の美意識を貫く強さ、潔さであるところが壮絶である。
昨年読んで感激した中村彰彦 「名君の碑」 の保科正之に続いて、山岡鉄舟も徳川の歴史の表舞台を大手を振って歩く偉業を成し遂げながら、虚を捨て裏方の実に徹した巨人であった。
凡人の想像を絶する、超人の世界を垣間見させてくれる小説家の才能、つくづくありがたい。