英語だと 「ARARAT 」 となり、旧約聖書で有名なノアの方舟が漂着した山の名前である。
酒はアルメニアのコニャックだが、アララト山はトルコ共和国の東部にそびえる5000メートルを越える山である。
一昨年、仙台でお世話になっている方からの招待でトルコへ旅した時に、さっそく酒屋へ買いに行った。
ところが、そんな酒、聞いたこともないと言われて、面食らった。
店員に、アルメニアのコニャックだと説明すると、激しい剣幕でアルメニアのものがトルコに有るわけがないと、剣もほろろだった。
国際情勢に暗いと、こんな始末である。
昨秋、フランク・ヴェスターマン著 「アララト山 方舟伝説と僕」(現代書館) という本が出ていることを知り、さっそく読んだ。
オランダ人の信仰を持たぬ若い男が、科学、歴史、経済、宗教など様々なものへの思索を深めるために、アララト山への巡礼の旅に出た見聞が本書である。
例えば月面を歩いた宇宙飛行士が、その後宇宙で神と出会ったと語り、アララト山で方舟の痕跡を探しているのはなぜか。
著者は自分の目で確かめようとする。
アララト山はアルメニア人にとって、おそらく日本人が富士山に抱くのと同じくらい限りない憧憬の念にかられる山であるのに、立ち入ることが許されない。
トルコとアルメニアの国境すら未だ定かでなく、紛争の火種となっている。
この本で知ったことだが、トルコのノーベル賞作家 オルハン・パムクがいま、トルコで袋叩きの状態だという。
彼の著作は 「イスタンブール」しか読んでいないが、現代とオスマン時代の間にたゆたう憂愁の表現は感銘深かった。
スイスのある新聞の取材に、「トルコ人は三万人のクルド人と百万人のアルメニア人を殺しておきながら、誰もそのことに触れようとしない」と答えた。
「公式、非公式を問わず、トルコ中が猛反発して彼を叩いたものさ。パムクは、誹謗中傷のかどで三回も起訴され、ある議員はあの者にはこの国の空気を吸う資格もないとまでののしったし、図書館から彼の著作をすべて撤去するように命じた知事もいた。」
自分が愛読した本の著者が、そんな目に遭っているとは知らず、ショックだった。
ノーベル賞作家として国益に反することであっても、国の暗部に蓋は出来ないのだろう。
隣国との間にこれほど過剰反応する国で、トルコ人にアルメニアの酒を尋ねたわが身の浅はかさよ。
もう味わうチャンスもないかと諦めていたAPAPAT を、昨年のバイカル湖ツアーの途上、イルクーツクの酒屋でゲットした。
国際政治が渦巻く紛争の地で、神の存在証明のために方舟を探す人々、その行く手にそびえるアララト山を目指す著者の冒険心、こんな贅沢な本を読んだ後に喉を潤すAPAPAT の黄金の滴、神の山の香しさかな。